About Me

代表者氏名

太田 和美(Ota Kazumi)

 

 

出身大学

国際基督教大学教養学部語学科卒業(学士)

 

 

経歴

2010年~2013年

地域大手予備校講師

 

2013年~現在

私立中・高教員

 

予備校時代、授業満足度2年連続No.1!!

現在、授業満足度4年連続No.1!!


経歴詳細

中学時代

 決して裕福でない家庭環境で育った私は、人生で一度も自分自身が塾や家庭教師、予備校などで学んだ経験はありません。

 それでも両親は私立の中学校に私を入れてくれました。両親には感謝しています。

 中学校に入学すると、周りの友人は誰もが塾に通っていました。私との学力の差は歴然でした。

 特に、周囲との差を感じたのは「英語」です。当時は小学校で外国語教育などない時代でしたから、英語を初めて習うのは中学校です。周りは塾のみならず、英会話教室に通っていた友人も多く、アルファベットもろくに書けない私は、まさに学校の中で落ちこぼれでした。何が分からないのかすら分からない状態で、定期考査の結果も散々なものでした。

 私が学校で受けていた英語の授業は、当時からするとかなり画期的だったように思います。先生が英語を英語で教えるというコミュニケーション中心の授業スタイルで、洋楽やゲームなどを多く取り入れた楽しいものでした。授業は楽しく、なんとなくできるような気がするのですが、テストになったら解けない。できているつもりなんだけど、なぜ間違いなのかも分からない。友人も同じ授業を受けているのにどうして自分だけできないのか。英語は好きなのに…と悩む日々が続きました。

 そして中学2年生の時、どうしても英語ができない私を見かねた先生が個別で放課後に授業をしてくれることになりました。「英語を英語で」学ぶのではなく、「英語を日本語を通して」教えてもらいました。

 

「日本語と英語では文の並び方が違うんだよ」

「動詞には一般動詞とbe動詞の2種類があって、動詞の種類によって疑問文や否定文の作り方がかわるんだよ」

 

 この経験は目からウロコでした。自分が何が分かっていなかったのかが鮮明になりました。「ああ、そういうことか!」と今までの曇りがすーっと晴れていくようでした。

 現在の学校の英語教育は、「英語を英語で」教えるスタイルがスタンダードになりつつあります。

 まるで、母語と同じような習得過程を辿ろうとしてます。学校教育の世界に身を置く身としてこのようなことを言うのははばかられますが、現在の中学校教育で母語と同じような習得過程で英語を身につけることは非常に難しいと考えます。

 

 その最たる理由は、インプット(言葉を取り入れる)量の絶対的な時間数の少なさです。

 どの言語でもそうですが母語を習得する際には、生まれたときから莫大な量のインプットが与えられます

 親の会話、テレビから流れてくる声、あらゆる母語のインプットが与えられる中で言語を習得していくのです。

 では、中学校での英語教育はどうでしょうか。現在の中学校の教育課程では英語の授業数は週4コマとなっています。 

 授業時間は50分ですから、1週間10,800分のうちのたった200分です。これは1週間のたった1.8%です。これほど少ないインプットの量なのに、母語と同じように学んだとしても非常に難しいものがあります。

 私が経験したような「何が分からないかすら分からない」生徒を量産する可能性は大です。

 

 もう一つの理由は、すでに習得している日本語がモニターとして作用し、英語学習の弊害になることがあるということです。

 日本で生活している中学生のほとんどは、文法を意識せずとも日本語を自由に使いこなすことができます。

 そして異なる文法体系である英語を、日本語を介さずに学ぶ際に、この日本語が弊害になる可能性があるのです。

 例えば語順です。日本語と英語では語順が異なります。

     「私は テニスが 好きです」と、日本語では、動詞が最後に置かれるのに対し

     「      I  like  tennis.    」と、英語では主語の後に動詞が置かれます

 しかし、この語順についてのしっかりした説明がなければどうなるでしょうか。生徒は当然、日本語と同じ語順で単語を置きます。

     「      I  tennis  like.    」

 私は実際にこのような英文を書いてしまうことが多くありました。ですから、日本語と英語の違いを区別するためには、当然日本語を使わなければなりません。すでに母語である日本語を習得していることは事実ですから、そこから目を背けてはいけません。逆に、日本語との違いを際立たせることによって、英語の特徴が明確になるメリットの方が多いように感じます。

 

 私が経験した失敗を、今の中学生には味わって欲しくないと強く思います。

 


高校時代

 英語学習にコツを掴んだ私は、どんどんと英語の成績があがっていきました。

 ひたすら単語帳や熟語のテキストを読んでは暗記、文法のテキストを解いては例外とされる表現を暗記、英作文を解いては正しい英文を暗記、とにかく覚えていけば点数が上がりました。

 校外模試では80を超える偏差値が安定するようになり、気を良くした私はすべての時間を英語の暗記に費やしました。

 とにかく覚えていけば点数がとれてしまうので、自分で思考することはほとんどなかったと思います。

 

 

 中学から高校、大学受験とレベルが上がっていくにつれて覚えなければいけないことの量は増えていきます

 単語や熟語は当然のことですが、文法事項では例外として教えられることが続出します。

 あれも例外、これも例外…となるうちに何が本質なのか見失ってしまうことは多いように思います。

 しかし、暗記ばかりに頼る英語学習は試験のための勉強になりがちで、日常的に使えるものにはなりません

 普段英語を使う場面では、例外とされる表現はあくまで「例外」となってしまい、日常的に使うものの選択肢からは外れてしまいます。

 「不変の真理は現在形で書くから例外」「進行形にできない動詞は例外」

 とされる例外は確かに覚えてしまえば試験では点数がとれるかもしれません。

 しかし、それでは日常的にその表現をすらすらと使えるようにはなりません。

 暗記ばかりではなく、なぜそうなるのかというしっかりした説明があることで、暗記の量も減るし、根本的な理解にもつながり、ネイティブがその文法を使う本質にもつながっていくと思います。

 

 

 さて、英語だけは試験で点数がとれていた私は、国際基督教大学(ICU)教養学部を第一志望に受験することにしました。

 一番の志望理由は、中学・高校時代の英語の先生がICUの卒業生だったから、というそれだけのことです。

 そしてもう一つの理由は、ICUの「リベラルアーツ」教育に興味をもったからです。

 その頃の私は、やはり英語に強い関心を持っていました。

 「覆盆に返らず」ということわざを知っていますか?

 このことわざは英語では、「It's no use crying over spilt milk.」となります。

 同じ意味のことわざでも、日本語は「」、英語では「milk」となるのです。

 おそらく文化の影響を受けているのだと考えました。様々な要因の影響を受ける言語に非常に興味を抱くようになりました。

 言語を多角的に理解したいと思うようになり、様々な分野から自分の専門性を見出すことのできるICUのリベラルアーツ教育は自分にとって最適な環境だと考えたのです。

 そして、無事ICUに合格。6年間過ごした中高を卒業し、期待にあふれた大学生活を夢見ていました。 

大学時代

 期待していたキャンパスライフとは裏腹に、ICUでの生活は挫折からのスタートでした。

 高校時代に校外模試で偏差値80以上を維持し続けてきた私は、ICUと言えど、周囲と互角に渡り合えるとばかり思っていました。

 しかし、そんな自信など入学後のわずか数日で消え去りました。

 

 ICUの教育の特徴の一つに、独自の英語教育プログラム(ELA)があります。

 当時はELPと呼ばれていました。

 入学後すぐに行われたクラス分け(プレースメント)テスト。試験内容はTOEFLだったと思います。

 初めて受けるこの手のテストはまったく時間が間に合わずに終了。

 当然一番下のクラスに分けられました。地方の中堅以下の中高一貫校では常にトップレベルの成績をおさめていたのも井の中の蛙でした。自分の世界がいかに狭かったかを知ると同時に、世の中にはこんなにも凄いやつらがいるのか!とわくわくしました

 

 周りを見れば飛び交う英語。留学生のみならず、日本人の顔つきをしている学生同士も英語で話しています。

 授業でも英語「を」学ぶことはありません。英語「で」学びます。英語は「目的」ではなく「手段」です。(ICUの誤ったイメージとして、すべての授業が英語で開講されていると思われがちですが決してそうではありません。)

 英語教育プログラムですら、英語「を」勉強することはありません。論文の書き方、論理的思考力、批判的思考力を英語で学び、それらを土台として人種や人権について英語で議論を重ねいきました。

 

 中学の時と同様、落ちこぼれからのスタートでしたが、この時は周りの環境に喰らいつこうと必死で勉強しました。寮生活・サークル・アルバイトとすべてが充実した時間でした。

 

 

 そして、3年生になると就職活動が始まります。教職課程も履修していましたが一念発起し、就職活動をすることに決めました。教育実習で地元に戻らなければいけないこともあり、教職をあきらめて一般企業への就職を目指しました。

 しかし、そこにタイミング悪く訪れたのがリーマンショックです。

 学生にとっては就職氷河期が訪れました。大学のネームバリューでどこかの大手企業には就職できるだろうという気持ちもありました。しかし、ことごとく不採用の通知を受け取りました。100社以上は確実に受けました。

 そして、ようやく決まったのが地元の地方銀行でした。大学時代まったく縁のなかった金融という世界に不安を抱えながら、人生で最も楽しかったICUを去り、地元に戻ることになりました。

会社員時代


 地元に戻った私は、銀行員として社会人生活をスタートしました。

 銀行員と言えば「カタイ」職業だと思っていましたが、そんなことはまったくありませんでした。某有名ドラマまではいきませんが、体育会系の世界でした。

 初めて任された仕事は支店の金庫番、出納係でした。

 窓口やATMの現金の出し入れをして、支店内に必要な現金量を調整します。そして、その日の現金の出し入れが伝票と相違がないかチェックをする仕事を任されていました。日々時間に追われてバタバタしたことは覚えています。もう目の前に転がっている札束は紙切れと同じような感覚で、足で札束を扱わなければいけないくらいの忙しさでした。

 

 その後、配置転換により個人営業の部署に配属されました。投資信託や外貨預金、保険を個人のお客様に販売する仕事です。

 自分の仕事が支店の収益になるというやりがいを強く感じながら、日々の業務に臨んでいました。

 若い営業マンということで、年配のお客様は応援してくれる気持ちを込めて、商品を購入してくれました。金融商品なので何百万円単位の契約ですが、それでも自分が与えられたノルマに困ることはありませんでした。

 しかし、世の中はリーマンショックによる不況が続いていました。お客様に購入して頂いた投資信託の価格が日を追うごとに下がっていきます。

 それでも同じお客様への営業を続けるように上司から指示をされました。現在購入している投資信託の価格が下がり続けているので、一度解約をして、損した分を預金から補てんして、また別の商品を契約してもらうのです。

 銀行の投資信託販売は、契約するごとに手数料が入ってきます。ですから、契約する回数が増えるほど銀行の手数料収入が増えるという仕組みです。

 リーマンショックで価値が上がる可能性は低かったですが、それでも投資信託を契約して頂き、案の定価値が下がれば、損の分を預金から補てんしてまた別の商品を契約して頂く…というサイクルを何度も続けました。

 銀行の経営状態からも仕方のないことだったのかもしれませんが、私はその仕事に耐えることができませんでした。

 仕事だと割り切ればよかったのですが、なんだか悪いことをしているような気がして、精神疾患を患い2年で退職しました。

予備校講師時代

 銀行を退職して予備校に転職をしました。

 大学時代に教職課程を途中まで履修していたこともあったので、教える仕事に就きたいという願望はもともとありました。

 しかし教員免許を持っていなかったため、思い切って受けてみた予備校に合格。地域でも最大手の予備校に勤めることになり、期待と不安でいっぱいでした。

 当初の授業は、自分が高校時代に習っていたようなことを再現するばかりでした。

 自分が高校時代に面白くないと思っていた授業です。

 「ここはポイント!例外だから覚えておかないと!」

 「ここ熟語だから、意味考えたら空欄に入る前置詞は覚えておかないとわかんないよ!」

 ただ試験に出題されやすいところばかりを狙って、そこを覚えるように指示するだけの授業では、生徒たちは熱心に聞いてくれましたが、自分が教える価値というものがわかりませんでした。そして、自分が中学・高校時代に経験した失敗を生徒たちに経験してほしくない、と強く思うようになり、もう一度「英語」を勉強しなおすことにしました。

 

 この時、自分が理解しているつもりだった文法事項を自分の言葉で説明しようとしたときに、どう説明してよいのか分からずに非常に困惑しました。「不定詞の3用法」と言われても、それまでは感覚と暗記のみで乗り切ってきたので、まったく頭にピンとこないようなレベルでした。

 中学レベルから自分の言葉で説明できるように勉強をし直し、疑問に感じたところは、暗記ではなくなぜそうなるかを徹底的に調べあげて授業に臨みました。できる限り自分の言葉で、そして自分が学生時代にしてきた失敗を振り返りながら、どういう授業をしてもらいたかったのか、それを考えながら目の前の授業に全力を尽くしました。

 そして授業の最後には確認テストを実施。生徒のためより自分のためでもありました。

 生徒がどこでつまずいたのかを知りたかったし、同じような傾向でミスがあれば、それは次回の授業で改善点としてつながると考えたからです。

 

 予備校時代のこの頃の努力は現在の自分に生かされています。

 また、自分が頑張るほど生徒の成績も伸び、受講者数も大幅に増えました。

 生徒への授業満足度アンケートでNo.1を獲得し、仕事の面では充実していました。

 

 この頃、同時並行で進めていたことがあります。

 それは、教員免許の取得です。ICUで取得できなかった残りの単位を明星大学通信教育学部で取得しました。

 確かに予備校の仕事にはやりがいを感じていましたが、少し物足りなさを感じていました。

 もっと生徒の人生に深く関わりたいと思ったのです。予備校の仕事も生徒の人生に大きく関わりますが、それは進路という面がほとんどで、日頃の生活に関わる機会は多くありません。

 しかし、学校の教員であれば、教えるという仕事に加えて生徒の人生にも深く関わることができると考えました。

 そこで予備校の有給を消化して、教育実習も母校で受け入れていただきました。

 授業内容を見た校長から、翌年度からの採用の打診を受け、その場で返事をしました。

 

 そして予備校に戻り、その年度の生徒の受験を見届けた後、現職の教員となりました。

 

教員へ、そして現在

 いよいよ、教員としての生活がスタートしました。

 教員になってみてやはり実感したのは、授業準備にとれる時間の少なさです。本当に時間がない。私は授業を普通は一日4時間、多い日で5時間を受け持っています。ですから、空いている時間は1時間か2時間ですが、その間に連絡帳のチェックとコメント、宿題のチェック、保護者への連絡、教科の打ち合わせ、行事の打ち合わせなどをこなします。自分のクラスが放課となれば、その後は19時まで部活動。その日の残務を整理して20時。そこから授業や行事の準備などを行うと22時ぐらいになることが普通です。

 

  しかし、やりがいはとても感じます。

   自分の選択に後悔はありません。

 

  学校教育の中では、このような多忙な日々が続くので、授業準備の時間はほとんどとることのできない教員が多いです。

 一方で、世の中の英語に対する期待は日に日に大きくなっていると実感しています。

 だからこそ、私は一人でも多くの生徒に「わかる!」「英語は楽しい!」ということを実感してもらいたい。

 そう願って、日々を真剣に取り組んでいます。