現在の学校教育における英語教育はコミュニケーションを重視し、日本語の使用を避けることで、「英語を英語で」指導するスタイルです。
まるで、母語を習得する過程をたどるかのような形式です。
しかし、この方法には限界があります。
母語を習得する過程を想像しましょう。母語の習得は、ほとんどすべての幼児が成功します。
その幼児は生まれた時から、絶えず母語のシャワーを受け続けます。
言語を取り入れることをインプットといいますが、膨大な量のインプットを耳から取り入れるのです。
両親の会話、テレビから流れてくる音声、街中の宣伝広告・・・ありとあらゆる情報が母語のインプットとなります。
そして、1年以上の歳月をかけてようやく簡単な単語を話すことができるのです。
長期間の留学をすると、その地域の言語をマスターできるという話を聞いたことがあると思います。
この場合も、長期間によって莫大な量のインプットを継続して与えられたことにより、会話をスムーズに行うことができる根拠の一つです。
では、日本での英語学習ではどうでしょう。
小学校では来年度から外国語活動が実施されますが、その授業数は週2時間、中学校の英語の授業数は週4時間となります。
この授業中、絶えず英語のインプットが与えられたとしましょう。そうだとしても、1週間のうちで児童・生徒が与えられる英語のインプット量は、時間に換算して、小学校では0.8%、中学校では1.6%にしかなりません。
たったこれほどのわずかなインプット量で、英語をマスターすることはできるでしょうか。
現在の方法では英語を理解することは難しいのではないでしょうか。
だからこそ、英文法は大切なのです。
限られた時間の中で、英語のルールや規則をコンパクトにまとめた英文法を理解することで、効果的に学習できます。
単なるルールだけでなく、どのような意図をその文法事項が含むのかを理解することによって、英語の本質にも近づくことができます。
本質を理解することは、型にはまった表現を覚えることよりも、自在性が高まります。
コミュニケーションの礎として、英文法が重要であることは間違いありません。
そもそも日本語と英語では言語的特徴の開きが大きすぎます。
言語的特徴の差異が大きすぎるこれらの2言語において、日本語を使わずに英語だけでその特徴を理解することは非常に難しいと思います。
語順という観点から考えて見ましょう。
たとえば、日本語の「私はテニスが好きです」という文と、英語の"I play tennis.”という文を比較してみましょう。
動詞の位置に注目をしてください。
日本語では、文の最後に動詞が置かれているのに対し、英語では主語である、"I"の後に動詞が置かれています。
この語順に対する違いは、「英語を英語で」学習する、現在の学校教育では、生徒の「気づき」によって理解するように意図付けられています。
生徒の「気づき」に委ねてこの特徴を理解することは難しいのではないでしょうか・。
また、修飾関係についても同様のことが言えます。
日本語で「(テニスをしている)少年」は、英語では"The boy( playing tennis )"となります。
日本語では修飾語は常に名詞の前に置かれますが、英語では2語以上の修飾語は名詞の直後に置かれます。
この違いも、日本語を使わずに英語だけで理解することは可能でしょうか。
私は、このような文法的な特徴の違いこそ、日本語を使って詳しく説明をするべきだと考えます。
このような考え方は日本語にはないものです。
あえて、日本語と比較することによって、英語の持つ特徴を鮮明に意識し、理解することができると考えるからです。
生徒のつまずきの多くは、こうした日本語と英語の特徴の違いによって起こることが多いです。
そうであるならば、日本語と英語を比較し、その違いを明らかにすることが大切です。
その違いを理解することは、英語を使う際の注意点、つまりポイントとして自然と意識が向くからです。
それはコミュニケーション活動からは得られにくいものです。英文法として論理的に学ぶことが大切です。
私はその日本語と英語の違いに重点を置いて英文法を説明しています。
違いを明確にし、その点を中心に練習問題を展開。
理解できるまで、とことんつきあいます。
すべての人に「わかった!」の感動を。
母語である日本語の存在は無視することができません。
「言語は思考を規定する」
という言葉があります。
物事を考える際には言語によって行われるということですが、日本語を母語とする多くの日本人は、当然のことながら日本語で思考します。
これは英語学習においても例外ではありません。
英語を学習する際にも、日本語がモニターとして作用します。
語順の話もそうですが、英語で文をつくろうとしても、最初に日本語を介します。
初学者であればなおさらのことです。
英語を日本語の感覚で考えてしまうと、「私はテニスが好きです」という文は"I tennis like."となってしまいますが、これを間違いだと気づかずに書いている生徒は少なくありません。
日本語と英語の違いについて説明を受けなかった結果です。
母語である日本語の存在は無視できません。
そして、母語である日本語は、英語を学習する際にもモニターとして必ず作用します。
その日本語の存在を無視して英語学習を進めていくことに本当に効果は見られるのでしょうか。
私はその学習効果に疑いを感じずにはいられません。
母語である日本語の存在があるのなら、それを無視することなく、有効に活用すればよいと思います。
どうせ無視できないものであるのなら、日本語と英語をうまく比較したり、共通点を見つけたりして、英語の特徴を浮き彫りにしていけば、その特徴がはっきりとわかってきます。
ひとつひとつの事柄について、しっかり分析をしていくこで理解を深めていく作業こそが英文法の学習です。
コミュニケーションの授業を否定しているわけではありません。コミュニケーションを深いものにしていくためにも、英文法の理解は欠かせないのです。
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